今年も3月11日になりました。震災・津波で亡くなったみなさんのご冥福をお祈りします。
行きがかり上、どうしても翌日からの東電原発事故の記憶が強いんだけど、まずこれは多くの方が震災・津波で亡くなった大災害だということは忘れないようにしたいところです。宮城県沖と阪神淡路と東日本は僕にとって忘れることができない大災害です。中でも東日本大震災は桁違いに規模が大きかった。震災の当日、僕は立川の統計数理研にいて、テレビで津波の映像を見ました。あれは決して忘れないと思います。
その上で、いくつかの記憶。当時わりと人気のブログをやったりしていた関係からか、東電原発事故関連(というより、放射能問題関連)でいろいろ発言することが増え、なぜかいくつかの雑誌にも取り上げられたりしました(どうして週刊プレイボーイが僕になんかインタビューしたのか、いまだにわかりません。プレイボーイはその後わりと残念な道を辿ります)。しかし、12年経って振り返ると、ほんとうに人々の役に立てたのは、みんなでやったガイガーカウンターミーティングと小峰さん・おかざきさんと作った『いちから聞きたい放射線のほんとう』くらいだったのではないか。それ以外にもいろいろ頑張ろうとしたとは思うけど、いかんせん遠くに住んでるし、たいがいは空回りだった気がします。
東電原発事故はいろんな意味で終わってないのですが、幸いにも放射能汚染は少なく、健康影響が出ないのは明らかだし、もちろんこれから生まれてくる子供達にはなんの影響もありません。福島に暮らすことは、日本の他の地域で暮らすこととなんら変わりない。でも、残念ながらそれが広く理解されてるとは言い難いですね。帰還困難区域がまだ残っているし、自主避難者もいるし、甲状腺検査も続けられているし、まだまだ終わっていない。空回りでも、何かを言い続けるのはだいじなのかなという気はします。僕にもっと力があればよかったんだけど、力はないからね。
放射能問題で知り合った人もいれば離れていった人もいます。でも、総じて言うと、直接の知人の多くはそういう意味ではまともだったな。それはよかったと思っています。
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